禅の公案と「問いのレベル」を変えること

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杖は杖か、杖でないか

禅の老師が弟子の前に杖を差し出して問う。「これは何か」。

「杖です」と答えれば「喝!」と一蹴される。ならばと「杖ではありません」と答えても、やはり「喝!」。どちらを答えても叩かれる。論理的に考えれば矛盾だ。杖であるか、杖でないか。二つに一つのはずなのに、どちらも間違いだと言われる。

この話は河合隼雄の本に出てくる。河合はこのエピソードを通じて、あるレベルで迷っているとき、そのレベルの中では答えが出せないということを示していた。

老師が問うているのは「杖か杖でないか」という分類の話ではない。杖という存在、その存在そのものを問うている。「杖です」は概念の世界に逃げている。「杖ではない」も同じく概念の否定にすぎない。どちらも頭の中の操作であって、目の前の存在に触れていない。

迷いのレベルを超える

河合隼雄の本の中で紹介されていた、ある母親の相談の話が印象に残っている。子どもには厳しく接するべきか、それとも優しく接するべきか。厳しくすれば反発され、優しくすれば甘えてしまう。どちらを選んでも行き詰まる。

これはまさに杖の公案と同じ構造だ。「厳しい」か「優しい」かという二項対立の中で答えを探している限り、答えは出てこない。問われているのは厳しさや優しさの選択ではなく、子どもという存在そのものとどう向き合うかなのだ。

迷いが生まれたとき、私たちは選択肢の中で最適解を求めようとする。しかし本当に求められているのは、選択肢そのものを生み出している問いの枠組みを疑うことかもしれない。

量が質に転化するとき

「量が質に転化する」という言葉がある。繰り返しの積み重ねがある臨界点を超えたとき、質的な変化が起こる。しかしここには落とし穴がある。

積み上げるものを簡単なものにしてしまうと、量をいくら重ねても質的な転化は起きない。毎日同じ簡単なフレーズを弾き続けても、ピアニストにはなれない。負荷のない筋トレを何千回やっても、筋肉は大きくならない。

量が質に転化するためには、その一つ一つの「量」がある程度の負荷を持っている必要がある。適切な困難さを含んだ反復だけが、やがて質的な跳躍をもたらす。

これも禅の公案と同じ構造を持っている。簡単な問いを何度繰り返しても、答えのレベルは変わらない。杖の前で本気で行き詰まり、思考の枠組みそのものが揺らいだときにはじめて、違う次元の理解が開ける。

非連続な成長は一人では起きにくい

成人発達理論では、人間の意識の成長は段階的に進むとされている。そしてある段階から次の段階への移行は、連続的な延長ではなく、非連続的な飛躍として起こる。

重要なのは、この非連続な成長は多くの場合、誰かに導かれることで起こるということだ。自分の枠組みの中で考えている限り、その枠組みを超えることは難しい。禅の老師が「喝!」と叩くのは、弟子の思考の枠組みを壊すためだ。外からの介入がなければ、人は自分の思考の中をぐるぐると回り続けてしまう。

面白いことに、この「外からの介入による非連続な成長」は、身体技能の世界でも実証されている。ソニーCSLが2025年に発表した研究では、ピアニストの手に外骨格ロボットを装着し、自分の限界を超える速さで指を強制的に動かすトレーニングを行った。すると、ロボットを外した後でも、以前より速く正確に演奏できるようになったという。しかも効果は翌日も残り、トレーニングしていない反対側の手にまで波及した。

2週間の自主練習で技能が頭打ちになったピアニストたちが、外骨格ロボットという「外からの介入」によって限界を突破した。自分の力だけでは到達できなかった領域に、外部の力で一度連れて行かれることで、身体がその動きを覚える。これは禅の老師の「喝!」と同じ構造ではないか。自力では超えられない壁を、外からの力で一度壊してもらうことで、新しい次元に到達する。

河合隼雄が臨床の場で行っていたこともそうだろう。クライアントの問いに直接答えるのではなく、問いそのものの構造に気づかせること。それは禅の老師が杖を差し出すのと、本質的に同じ行為ではないかと思う。

問いの枠組みに気づくこと

まとめると、こういうことだと理解した。

  • 迷いのレベルでは答えは出ない — 杖か杖でないかという二項対立の中にいる限り、答えには辿り着けない
  • 量の質的転化には適切な負荷が必要 — 簡単なことの積み上げでは飛躍は生まれない
  • 非連続な成長には導き手が要る — 自分の枠組みの外側は、一人では見えにくい

これらは全て、今いるレベルの問いを超えるということに繋がっている。禅の老師の「喝!」は、「お前の答えは間違っている」ではなく、「お前の問い方が間違っている」という合図なのだろう。

自分が何かに行き詰まっているとき、選択肢の中で悩んでいるのか、それとも問い自体を疑う必要があるのか。それを見極めることが、次のレベルに進むための第一歩になるのかもしれない。