意識をいろんなところに向ける

created:

updated:

thumbnail

言葉以外のものに注目する

最近こういう本を読んでいる。
『経営×人材の超プロが教える人を選ぶ技術』
『脳の外で考える――最新科学でわかった思考力を研ぎ澄ます技法』

これらの本で、特に強い印象を受けたのが、言語や論理以外から情報を得るということ。 『人を選ぶ技術』では、以下のような表現があった。

例えば、先に「洞察力を見抜くには相手の表情や反応も大事」と述べたが、思考優先の問題解決モードで対話をしていると、相手の回答を理解、整理することばかりに意識が集中してしまい、表情やリアクションといった重要なファクターが目に入らなくなる。当然それらは重要な判断材料のはずだ。

確かに面接などでは言葉のやり取りに重きを置いてしまって、印象や態度はそこまで意識していなかったかもしれない。

また、『脳の外で考える』の第1章では体から得られる直感を元に判断を下すトレーダーの方がいい成績を収めているというエピソードが紹介されている。

コーツは、こうした「腹にズシンとくる直感」に従うと、たいていは利益を上げられることに気づきました。そして、これまで自分が導き出したあらゆる家庭や受けてきたあらゆる教育に反して、型破りな結論に至らざるを得なくなりました。 「正しい判断を下すには、体からのフィードバックに注意深く耳を傾ける能力が必要である」

これらのエピソードは何度か聞いたことのあるような気がするが、今回読んで自分の行動を改めたほうがいいかもしれないと思った。仕事や家族とのコミュニケーションで、にこやかにはしているものの、心で受け止めるという態度ではなかったかもしない。冗談を言い合っているときも言葉遊びで心の底から楽しんでなかったかもしれない。また、言わければ伝わらないと思って、言葉をベルトコンベアに載せてせっせと送る一方で、言葉以外のメッセージは充分にやり取り出来ていなかったかもしれない。そう考えて、最近は頭以外にもっと意識を向けるようにしている。

自分はいろいろなものの集まり

まだ、雑談くらいでしか意識できてないけど、頭は自分の主人じゃなくて、賢い召使だと思って、心に主導権を渡すようにしたい。もし、自分が言葉を受け取って、処理して、返すだけの装置だとすると、ChatGPTの方がよっぽど器用だ。この間、学校から英文でメールが届いて、返事にとても困った。ちょっと微妙なニュアンスをうまく伝えたいが、そうすると半日作業になる。そこで、ChatGPTに下書きしてもらって、自分でも少し推敲して、返事を出した。ものの20‐30分で返事が済んだ。星新一の世界がもうそこにあるなぁとびっくりした。そうやって考えると、ちょっと賢い頭を自分の中心に据えるのはもうやめて良いのかもしれない。自分を言葉や論理に抑え込むのではなく、感覚や現実世界、身振りなどにもっと自分が宿るのかもしれない。

大学生のころ、小説か何かが授業で取り上げられて、それは中世の儀礼が支配する貴族社会が近代に入るとともに、儀礼が廃れてしまい、儀礼によって目に見えていた主人公の存在は消えてしまった、といったものだったと思う。ChatGPTは受け取った文字列を元にその続きの文字列を生成して返す仕組みで出来ている、といったものだったと思うのだが、それによって論理や雄弁さというものの存在が揺らいでしまうのじゃないかと思う。しばらくは論理や雄弁さが色あせて見えてしまい、その後また新しい理想像が出来上がってくるのかもしれない。

分散的に取り組む

さて、にプログラミングに関して言うと、これまでコードを書くときは一心不乱に没頭して書くものだと思ってきたが、俯瞰的に考えるようにしたり、ちょっと温めておくような接し方もありじゃないかと感じた。森博嗣が『集中力はいらない』という本を書いている。

子供のときの僕は、大人が「やりなさい」と言ったことには集中していなかったが、少なくとも、自分がやりたいこと、自分が考えたいことには集中していた。これは、僕の「集中」であるが、一般的なやるべきことへの「集中」ではなかった。また、同じことを長くは続けられないけれど、僕にしてみれば、同じことをずっとしているよりも、沢山のことを少しずつでもやれば、その一つ一つについては集中できるし、しかも効率が良い、ということを感覚的に知っていたのである。何故なら、同じことをじっと長時間やらされると、僕はだらだらとしてしまうからだ。大人が「集中しなさい」というとおりにすると、結果的に「集中できない」状態になってしまうのだ。

これを読むとなんとなく分かったような分からないような気がするが、切り替えつつ、いろいろと取り組むのだと思う。映画や本などに出てくる天才は、1つのことをずーっと集中してやりぬくような人だったりして、私はそれを内面化しているので、コードをずーっと眺めて頭をかきむしりながら書くようなイメージからまだ離れられていない。だから、うまく行かないときに、画面を凝視して、何度も似たようなやり方を試して、とやってしまいがちだ。今日もそうだった。でも、もっと力を抜いて、盆栽を手入れするようにいろいろな方向から問題を見て、補助線を引いてみるのが良いのかもしれない。

『集中力はいらない』の中で分散という言葉が集中の対となる概念として使われている。

また、分散型の進め方については、ほとんどの仕事が実は既に分散型である。誰でも複数の仕事を任されているはずで、それは、仕事上の地位が上がっていくほど、顕著になる。つまり、入社したてのうちは集中するものが絞られているが、リーダは、その全体を見回す立場にあるため、どこかに集中しようにも、そうはいかない。

たしかに、プログラミングに慣れてきてからは、一通り書いた後は、あのパターンはどうかな、これはどうだ、と考える時間がある。これをもっと意識的にやった方がいいかもしれない。言語・集中に非言語、分散を取り込んでいければ仕事もより良く進められるのではないかと思う。

UnsplashNorbertBraunが撮影した写真